得難きもの。失われる本格派。- うどん まるしん

うどんに対するコダワリ感

国民食的な麺類ってなんだろう? と考えるとまずラーメン、うどん、蕎麦あたりが思いつく。3つ並べて考えてみると、ラーメン、蕎麦は「こういうの系統のものが好き」と個々人の好みが確立されているように思えるが、うどんって「こういうタイプのうどんがイイ!」という確固たる嗜好を持っている方の割合が少ないような気がしちゃったり。

 

もちろんうどんだって美味しいものがいいに決っているけど、こうでないといかん、例えばラーメンならば「細麺、豚骨が」、蕎麦なら「更科でつゆ辛め」。とか。具体的にすらすらと好みが伝わってくるケースが少ない気がする、3大メジャーに属しながら、ちょっとだけ認知の深まっていない食べ物じゃないかな、と思ってしまうのだ。うどんに対して。

 

もちろん文化圏の違いというのもあるのかも。西の方にいくともっとうどんに対する愛の深さ、というかコダワリがビンビン伝わってくるし、香川あたりの出身者にこのへんの話を向けようものならもう止まらない。腰が、エッジが、出汁が。生活圏が関東寄りの人間には理解の届かないネイティブのUDON世界がそこにあるのだろう、きっと。

アキバのうどん事情と「うどん まるしん」

秋葉原におけるうどん食の選択肢は実は意外と幅が狭い。末広町のあたりに「関西風うどん 川嶋」があり、神田和泉町には名古屋でおなじみ味噌煮込みの名店「山本屋総本家」がある。少し坂を登って神田明神の向こうまで足を伸ばすと聖橋の近くに「たけや」といううどんがあって、ここは艶がよく腰はしなやか系だがなかなか旨い。ぱっとおもいつくのがこんな2,3軒といった塩梅で「ああ、心から美味しいうどんが食べたい」と思った時に諸手をあげて訪れたくなる店が意外や少ない(知らないだけの可能性も大で、良いお店がありましたら教えていただきたく……)

 

そんな中、うどん欲が極まった際に積極的に足を運びたくなる店が一つあった。秋葉原に面した神田川から柳森神社を経て、神田駅方面に向かう道「ふれあい通り」沿いにある「うどん まるしん」がそれ。まるしんのうどんの魅力はズバリ「ワイルドかつ繊細」。見た目の猛々しさと半して作りの決めこまさが光るうどん。ガッツリとしてしなやか。そんなうどんなのだ。

 

そんな心より旨い。と思える貴重なうどん屋「まるしん」、先日も香川出身者の友人と酒を飲んだ際に「やっぱりまるしんだよね。」「うん、あそこは遜色ない、むしろ素晴らしい」「もっと盛り上がるといいなぁ」といった話で盛り上がり明けて翌日。その香川UDONネイティブの友人、盛り上がってしまったのかさっそく店を訪れたとのこと、その際に意外な言葉。

 

「店内に10月26日で閉店するって書いてあった」

 

とても驚いた。だいたい食べ物屋って、やっている側だって誰しも旨いものを出せる店を作りたいに違いない。それぞれ工夫を凝らして、切磋琢磨して、それでも世の人の多くから「ここは旨い」と評価を得られる店はどこにでもあるわけでもなく、そんな中、この界隈で、この系統ならこの店。と綺羅星の如く輝く一つの金字塔ー少なくともボクにとっては。そんな存在である「まるしん」が何故に店を閉めなければならないのか。そこが全く分からなかったのだ。

 

ー上の写真は閉店当日の様子(写真提供 - すぽさん)

なにはともあれ、まずは食べにいくべし

ともあれ、もう閉店までの残り日数は少ない。なんとか今一度あの力強いうどんが食べたいと時間をやりくり、閉店前日の夜の時間に訪れてみる。ついと店内を覗いてみると丁度カウンターが2席空いていたので、滑りこむ。

 

折角の夜営業、呑まない手はないと日本酒(菊水)と、ごぼ天、かしわ天。「菊水って、新潟は新発田のお酒なんだよね、これ、新発田って字面がなんだか格好いいよねー」なんて話をしつつ、ツマミのごぼ天を一口。さっくりと揚がっており旨い。こういうさり気ない品物ひとつとっても、味のしっかりとした牛蒡を厚切りでカラっといい塩梅に揚げられているものって大事だ。偏在しているものではないよなぁ、とかしわ天をつまむ。柔らかくてジューシィだ。ううむ。

 

見れば周囲は常連さんばかりのようだ。お互い名前で呼び合う関係のようで、「店を畳んだらどうするんだい?」といったやり取りが続く。すっかりお別れモードだ。寂しい。隣席に見事な盛りのうどんが運ばれてくる、勢いよくぞぞっと啜る様が絵になっているがやはりなんだか少し陰りがあるように見えるというか。

 

「もううどん屋をやるつもりはないんだよ」

 

そんな言葉がぽつりと漏れ聞こえてくる。厨房の上に貼りだしてある草野心平の詩をじっと見る。とつとつとした言葉で綴られた一字一句の透明さが、別れ際の心情を表しているようでぐっと何かがこみ上げてくるようで。

 

ふと、外を見ると沢山の客が列を作っていた。皆、閉店の話を聞いて駆けつけてきたに違いない。いつもはこんな列が出来たりはしないのだ。よく通るから分かる。

 

ふとご主人から声をかけられる。

「そろそろ、うどんいっておかないと無くなっちゃいそうだよ」

 

慌てて肉南蛮うどんを頼む。同行者は鳥もやしうどん。どちらがどっちを食べるかでずいぶん綱引きをしてしまった。選びがたい2つの選択肢。いま一度1つしか食べられそうも無いとあっては。

別れのうどん

 

菊水のおかわりを貰いながらじっとうどんの出来上がりを待つ。その間にも通りの列は伸びていく。少し申し訳ない気分になりつつも、うどんに集中すべく厨房のご主人の仕事ぶりに目をやる。淀み無い動き。大きなゆで窯でうどんを茹でつつ、保温器のだし汁で調味を行い、もやしと鶏肉を茹でる。豚バラを茹でる。うどんは太くて腰が強いタイプなので、結構時間がかかる。だが、そこがいい。

 

最後のご対面。威風堂々たる肉南蛮うどんを押し頂く。じゅわりと染みる肉とバラ脂の旨み。丹念に調整された汁の旨み。エッジのピシリとたったうどんの歯ごたえ。何もかもが隙がなく高いレベルで統合されており、なによりもリーズナブルでボリューミィだ。こんなに繊細でうまい、それだけで有難いのに、腹もたっぷり満たしてくれる。

 

丼の底の底までいただいて、感慨に浸るのもつかの間、後ろの客をこれ以上待たせては申し訳ないとそそくさと席を立つ。何か伝えよう、伝えなければ、そう思い、声をかえる。

 

「近くにもう店を出される予定はないのですか?」

「うん、そのつもりは、もうないんだよ。」

「そうなんですか……残念です。ここのうどんが、とても好きでした。」

「ありがとうね。」

 

いろいろとこみ上げてくるものはあるが、長居は禁物。ご主人の手をこれ以上止めるのも申し訳なく店を去る。

 

いざ失う間際になって、はたと気付くこと。得がたいものの有り難さ、愛おしさ。

 

この界隈でここまで勇猛かつ、緻密な、思わず膝を叩きたくなるようなうどんにまた会えるのはいつの日になるのか。もっと足繁く来ればよかったとの、後悔の思いを抱きつつ。